人としてどう生きるか
「水清ければ魚住まず」という諺があるのをご存知だろう。
水が綺麗過ぎると、かえって魚は棲めなくなってしまうことから、あまり清廉潔白過ぎても人から好かれないという意味だ。
プランクトンがある水は凄く綺麗なわけではなく、むしろやや濁っている状態だ。
水中のプランクトンがあるところに小動物が集まり、魚がそれらを捕食する。
そのプランクトンがなくなってしまうほど水が綺麗になると、とうぜん魚は生きていけなくなるのだ。
人間でも同じことが言える。
あまり正しいことを主張してばかりいると、争いが絶えないだろうし、周りからも鬱陶しがられるだろう。
広い目で見れば、世の中、善と悪だけでは片付けられないし、どちらか一方だけでは存在出来ないのだ。
光があれば影があり、裏があれば表があるように。
生きていく上で大切なのは、「正しいか正しくないか」よりも「人としてどう生きるか」というところに行き着くだろう。
仏教には「自分にとって不愉快なことを、他人にはしない」というのがあるが、まさにそうだと言える。
そういう人が一人でも増えることが、世の中が善くなっていくことにつながるのだと私は思う。
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水が綺麗過ぎると、かえって魚は棲めなくなってしまうことから、あまり清廉潔白過ぎても人から好かれないという意味だ。
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そのプランクトンがなくなってしまうほど水が綺麗になると、とうぜん魚は生きていけなくなるのだ。
人間でも同じことが言える。
あまり正しいことを主張してばかりいると、争いが絶えないだろうし、周りからも鬱陶しがられるだろう。
広い目で見れば、世の中、善と悪だけでは片付けられないし、どちらか一方だけでは存在出来ないのだ。
光があれば影があり、裏があれば表があるように。
生きていく上で大切なのは、「正しいか正しくないか」よりも「人としてどう生きるか」というところに行き着くだろう。
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