::可能性は無限
可能性」−この言葉について考えてみた。

改めていうことはないが、意味は「できる見込み」で、辞書にはこのように書かれてあった。

1.論理的に矛盾が含まれていないという意味で、考えうること。
2.あることが実現される条件がそれを妨げる条件よりも優勢であると確認されていること。


「成功する可能性は100パーセントのうち、10パーセントだ」

などという表現でこの言葉が使われるだろう。

可能性は、やり方次第で上げることが出来るのだから、これは「運」の問題ではないのだ。

ドラゴン桜という漫画をご存知だと思うが、その漫画は東大に合格するための数々のテクニックが載っている。

それはよく見れば、受験だけではなく、ビジネスにも、そして生きていくためにも役に立つものだ。

この漫画がきっかけで東大受験者が増えたということを聞いたことがあるが、それは頷ける。

これを実践すれば、東大も夢ではないと思えてくる。

もちろん必ず合格するというものではないが、何も知らないで勉強するよりは遥かに合格する確立が高いのは言うまでもないだろう。

世の中に「絶対」「必ず」というものはない。

なぜなら、それは人間のすることだからである。

体調などのコンディションがいい時もあれば悪い時もある。

それでも可能性を上げるために全力を尽くす

仮に合格しなかったとしても、それに向かって全力を尽くしたという自信が出てくるだろう。

こういう風に勉強すればいいというのと、これは他のことにも応用できるなと今まで知らなかったことを知ることが出来たのだ。

人生、生きていて「無知」ということほど、恐ろしいものはないのだ。

以前、私の身近の人にドラゴン桜の話をした時に「あれを実践すれば東大も夢ではないな」と言ったら、相手は「そんなの無理だよ、無理に決まっているだろう」と連呼した。

ちなみに、彼はそれを実践したわけでもなければ、東大受験をしたわけでもないのだ。

実践もしたことがない人間にどうして「それは無理だ」と言えようか。

そこはやはり、「東大も夢ではないかも知れないな」と前向きに話す人への嫉妬の言葉なのだろうか。

それよりも、時には素直に受け入れてみる姿勢が大事なのではないだろうか。

人間の可能性は無限だ。

それに制限を設けているのは、他でもない、自分自身なのだ。


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::感謝して生きる
言葉にすれば簡単なことだが、常に意識して生きるのは容易くない。

言うは易く行うは難し」だ。

ともすれば今、生きていることが当り前などと思ってしまうことがあるだろう。

或いは今、やっていることが出来て当り前と思ってしまうことだってあるだろう。

それどころか、足りないこと、出来ないこと、ないことばかりに目がいってしまう。

「私には十分なお金がない」

「私は○○が出来ない」

「私は○○を持っていない」

だからなおさらこのように思ってしまう。

「もっとお金が欲しい」

「○○を出来るようになりたい」

「○○を手に入れたい」

このような欲望を持つことは悪いことではないが、このことばかり言うのは今、満たされていないということを強調しているようなものだ。

精神世界系の話では「感謝」することで世界が変わっていくということだから、今ないことばかりいうのではなく、今あることに目を向け、感謝する

『今日も無事目覚めることが出来て、感謝します!』

『今もこうして無事生きていられることに感謝します!』

『健康で、自分の足で歩くことが出来て、本も読むことが出来て、感謝します!』

『いつもご飯を美味しく食べることが出来て、感謝します!』

『素敵な人との出会いに感謝します!』

『素晴らしい夢を持つことが出来て感謝します!』

『いつもそばで支えてくれる彼女に感謝します!』


そのような感謝の心が自分自身を、周りの人たちを、そして世界をも変えることが出来る。


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::人との出会いと人付き合い
今まで生きてきて、思い返してみれば数々の出会いがあったが、実際に今も付き合いが続いているのは少ない。

私自身はもともとそれほど友達が多いわけではなく、「顔が広いか、狭いか」で言ったら狭い方だ。

そのような私であるから、いわゆる「幅広い人脈」を持っている人を羨ましく思うことは正直なところある。

実際に私の知っている人でそのような年配の女性がいる。歳を感じさせないパワフルな女性だ。

老若男女問わず、彼女は慕われている。私も世話になったことがある。

このように広い「生きた人脈」を持ち、それを活かしている人もいる一方、「ただ名刺交換しただけ」「ただ携帯に登録しただけ」で、俺は(私は)顔が広いとか、人脈があると言っている人もいるだろう。

いくら多くても、そのような人たちばかりなら、空虚だし意味がない。

人脈は人数がいればいいというものではないのだ。

「広く浅く」より「狭く深く」の方がいい。

そしてそれは必要な時に必要なところへ集まってくると私は思っている。

まるで磁石に引き寄せられてくるように・・・。

波長の合う者同士が引き寄せられるというように、自分自身が成長していけば、出会う人も変わってくる

それと同時に離れていく人も出てくる

少々寂しいものがあるが、それは当然だと思う。

成長してきた自分は昔の自分とは違うのだから。

そしてお互いのためにもその方が幸せなのだ。

人脈をよりよいものにするためにも、自分磨きを怠ることなく、続けよう。


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::出来事からの気付き
私たちは、これまで生きてきた中でもさまざまな出来事に遭遇する。

それは人間関係、出会い、別れ、親しい人の死、病気、事故などだ。

そしてこれから一生を終えるまでも数々の出来事に遭遇するだろう。

生老病死は時期を待たないが、事故や人生での転機となる出来事もまた同じことが言える。

このような出来事の、その一面だけに囚われてはただ辛いだけでしかない。

辛い」という字に一本線を加えると「幸せ」という字になるというのが分かるだろう。

その出来事を経験したお陰で、今まで知らなかったことを知ることが出来たと思えば、その方が幸せというものだ。

この世で起きることにはすべて意味があるというのだという。

その人がそれに気付き学ぶために色々な出来事が起こるのだ。

たった一つのことを学ぶためにだ。

その出来事は自分にとってどのような意味があるのか、何を自分に学ばせようとしているのか

多くの人は出来事そのものだけにしか目がいかないし、原因を外に見てしまうから苦しむのだ。

ここに焦点が行くようになれば、辛い人生もに生きられるようになる。

この世で生きることは学ぶことなのだから、どうせなら人生を楽しもうという気持ちになってくるからだ。

「○○出来れば苦労しないよ」などという諦めとも投げやりとも取れる言い方は止めようではないか。

たとえ出来なくても、それに向かって精進してこそ、生を全うすることになるのだと私は思っている。


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::夏の終わりに
気が付けば8月ももうすぐ終わり、9月に入る。

暮れるのが早くなったのと、夜の涼しさに秋の気配を感じるようになった。

秋の気配・・・季節の移り変わりというものは、とても風情がある。

秋というと紅葉シーズンだが、秋の長雨が続き、気が付けば季節は冬に入っているということが多いから、どの季節よりも貴重に感じるし、過ごしやすい季節だ。

このような季節に軽井沢などの観光地のホテルで読書をしながらリラックスし、静かな時間を過ごしたいものだ。

もちろん観光するのもいいが、このためだけに時間を使うというのがあってもいい。

以前、軽井沢にこういう素晴らしいホテルを見つけたのだが、こういうところに泊まってみたいものだ。

そこまでの移動は電車も悪くないが、やはり車好きな私としては、こういう車でドライブも楽しみながらの方がいい。

来年の今頃は、南の島での豪華客船の旅なんていうのもいいかも知れない。

それと同時に自分自身がどれくらい成長しているか、どのような人たちと出会っているか、とても楽しみだ。


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::歩き続けよう
極楽百年の修行は穢土(えど)一日の功に及ばず(日蓮・報恩抄より)』という言葉がある。

極楽で百年修行するよりも、俗世間で一日修行する方がよっぽどいいという意味だ。

俗世間では、心温まる話よりも、足の引っ張りあい、裏切り、罵詈雑言、暴力沙汰などの話の方が多い。

それが俗世間の姿だと言ってしまえば確かにそういうことになるが、そうやって綺麗なところも穢いところも見てこそ本当にが磨かれるのだろう。

綺麗なところしか知らない人間に物事の良し悪しが分かるはずもないのだ。

そしてこの世が極楽か地獄かは、捉え方次第で決まる。

いつも穏やかで優しく、愛に溢れた生き方をしている人もいれば、いつも争いごとが耐えない修羅場で生きている人だっている。

特に現代のような殺伐とした世の中では、信念がなければ、ただ世の中に流されていくだけになってしまうのだ。

それも悪い方、悪い方へ。

しかし信念があれば、行く先々でどんなことが起ころうとも決して揺らぐことはないだろう。

そして周りにも同じ同志が集まってくることだろう。

行こう、自分が信じた道を・・・。

たとえ今は先が見えなくても、歩き続けよう・・・。

必ず見えてくることを信じて・・・。


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::夢・目標というものの捉え方
夢や目標を紙に書いて持ち歩く」「日付を入れる」「いついつまでに何々をする

いわゆる成功哲学系の教えではこのように言っているのを聞く。

私自身ももちろん実行しているのだが、どうにも腑に落ちない部分が出てきて、ふと考えてみた。

もちろん書くのはいいことなのだが、日付を入れたり、期限を設けるというのはどんな時にも当てはまるものなのだろうかと。

この場合はビジネスがある程度軌道に乗っている場合や、今行っていることの目処が立っている場合に有効的だろう。

例えば今年中にあと五店舗増やすとか、年商○○円という場合などだ。

そこまで行っていない場合、このように目標を立ててもあまりに遠すぎてしまうし、そのギャップネガティブな気持ちが沸いてきてしまう。

道幸武久氏は自身の著書「加速成功」の中でこのことを三つの観覧車に例えて、小目標、中目標、大目標とそれぞれ設定すると書いているが、なるほどなと思った。

そのようにすれば設定した目標と今の自分とのギャップにネガティブな気持ちが沸いてくることもないだろう。

精神世界系の考えだと、「〜させて頂き、ありがとう」「感謝します」というように、すでにその夢や目標が叶ったように振る舞うのだ。

これは最近私が知り合った人が「欲というものは叶いづらいものだから、追いかけるのではなく、すでに叶ったように言うことで、現実は後から付いてくる」と言っていたのだが、納得だ。

追いかけてばかりでは駄目なのだろう。

斎藤一人氏が「夢が欲しくて夢を語っている人って、今不幸な人が多い」ということを言っている。

今の状況に感謝出来ないと、「あれが欲しい、これが欲しい」「あれがない、これがない」ばかりになってしまうし、恋愛ではないが、追いかけてばかりでは相手は逃げてしまう。

夢もお金も同じといっていいのかも知れない。

どちらのやり方がしっくり来るかは人それぞれだが、どちらにも言えるのは「足ることを知る心」にもあるように今現在の状況に感謝ながらも、さらに向上を目指すというのに尽きるのだとあたらめて思った。


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::生き抜くこと
人はこの世に魂の修行のために生まれてくるというのだが、上手くいっていてもいっていなくても、その人なりに考えることはあるだろう。

「自分は生きる資格がない」「自分には才能がない」「自分には大したことが出来るわけではない」などと。

そこには周りと比較され、また自分自身も少なからず周りと比較して生きてきたというのがあるから、そのように思ってしまうのも無理はないのだが、果たしてそうなのだろうか。

鮭はたくさんの卵を産むが、それが全部孵化して立派に成魚になるわけではない。

多くは卵や、稚魚の時に死んでしまうか、他の魚などに食べられてしまう。

或いは成長していく過程で、外敵などからの攻撃もあるだろう。

その過程を経て、鮭は大きく逞しく成魚になるのだ。

人も同じように、生き抜くことに価値があるのだ。

世の中には何十種類、何百種類の病気があり、残念なことにこれらの病気にかかり、幼くして、若くしてこの世を去ってしまう人だっている。

或いは、災害などの犠牲になってしまう人だっている。

生まれてきただけでも奇跡なのに、二十年、三十年、四十年、或いはそれ以上生きてこられたというのは考えてみれば本当に大変なことだということに気付かされる。

こうして今も生きているということは、生きる資格があるということだ。

昔から「伊達に歳を取っていない」という言葉があるように、生きてきたということは、それ相応の経験をしてきたということなのだ。

人間の可能性は無限である以上、今がどうであれ、これからいくらでも人生変えられるのだ。


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::世の中捨てたものではない
因果応報。その意味は「前世あるいは過去の善悪の行為が因となり、その報いとして現在に善悪の結果がもたらされること。」

つまり「自分自身が放ったことが、結果として自分自身に返ってくる」ということだ。

人を呪わば穴二つ」と言う言葉はそれをよく表しているだろう。

人を嫌な気分にさせる害を周りに与えたり、人としてやってはいけないこともそうだ。

信仰心の強い国なら、「神が見ている」というのだが、日本はもともと信仰心がある国ではないから、「誰も見ていないからいいだろう」となってしまうのだろう。

最近はあまり聞かないが、日本でも似たようなことが言われていたのを覚えているだろうか。

それは「お天道様が見ている」という言葉だ。

自分自身に跳ね返ってくるのだから、一番害を受けるのは当の本人なのだ。

とはいうものの、自分さえよければいいという身勝手な人が現代は増えているという。

そのような人が増えたからこういう時代になったのか、こういう時代だからそういう人が増えたのかは定かではないが、ある意味生き辛い世の中になった。

だからこそ、最近は「癒し」とか「」というものを色々なところで取り上げることになったのだろう。

そしてそれらを求めている人が多いということだ。

私自身ももちろん求めている。

近頃は、どこへ行ってもノイズで溢れかえっていて落ち着ける場所がないように思う。

本当に心身ともに落ち着ける場所へ行って過ごしたいと思っている。

最近では、宿坊とか、写経、パワースポットなどをよく聞くようになったが、最近パワースポットと呼んでもいい場所を見つけたのだ。

それは私の住んでいる近所にある輸入雑貨の店なのだが、ここは不思議と気持ちが落ち着くし、癒させる。

またそこで出会った人たちは私自身が以前から求めていた人たちなのだ。

私自身が望んでいたから引き寄せられたのか、不思議な出会いを感じるのだ。

そう思うと、世の中捨てたものではないなと心から感じることが出来たし、気持ちがとてもになってきた。



PS:最後にご紹介した店は、輸入雑貨アネシスといいまして、天然素材を使ったものや手作りのものを扱っていて、とても癒される雰囲気を持った店です。

ちなみここのオーナーは五日市剛さんの講演を主催をしたこともありますし、実際に店頭で五日市さんのグッズも販売しています。

それから座敷ワラビちゃん(写真右)というぬいぐるみやハッピーくん(写真左)というお守り?!もあり、私も手に入れました\(^o^)/




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::成功系と精神世界系
あなたの人生はあなたの思い描いたとおりになる

有名なジョセフ・マーフィーの言葉である。

古くはナポレオン・ヒルが有名だが、私が初めて自己啓発・成功哲学系の本を読んだのはマーフィーの本だった。

それから色々な本を読んだが、この成功哲学系は大きく分けて2種類あるように思う。

一つは、いわゆる成功系。ロバート・キヨサキ氏やブライアン・トレーシー氏、日本で言えば道幸武久氏などのビジネス系の人たちが挙げられる。

もう一つは、精神世界系。こちらは、私もよく名前を出す小林正観氏や斎藤一人氏などが挙げられる。

また、私がだいぶ前に知った五日市剛氏もこちらに挙げられるだろう。

どちらかと言えば斎藤一人氏はどちらにも当てはまると思う。

その辺はジェームス・スキナー氏にも同じことが言える。

夢や目標を叶えるという点でも、両者には違いがある。

前者は目標を紙に書いて持ち歩くのがいいと言われるし、日付まで入れた方がいいとか、アファーメーションして潜在意識に落とし込むというのを聞く。

後者の方は、そういうのはなく、感謝するとか、人としてどう生きるか、「」に焦点を置いている。

それぞれの本に書かれていることはとうぜん違うことでも、突き詰めれば同じところへ行き着く

登山で言えば、頂上は一つででも、そこへ辿り着くまでの道は何通りもあるということだ。

どちらを選んでも最終的には成功(成幸)するということなのだろう。

しかし、それぞれいいことを言っているのだから、それぞれのいいところを自分なりに取り入れればいいのではないかと思う。

このジャンルの本に関しては、私は徒然草も含めていいと思っている。

第百五十七段では「心は必ず物事に触れて起こるものであるから、かりそめであっても、邪なことは考えてはいけない。」と兼好は言っている。

マーフィーの法則で言えば、「よいことを思えばよいことが起き、悪いことを思えば悪いことが起きる」というように、頭の中で考えたことが現実化してしまうのだ。

例えば目の前に歩いているミニスカートの女性を見てしまうのは男ならごく自然な行為だが程ほどにしたい

同じ思うのなら、邪なことではなく、よいことを思うようにしたいものだ。


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::人としてどう生きるか
水清ければ魚住まず」という諺があるのをご存知だろう。

水が綺麗過ぎると、かえって魚は棲めなくなってしまうことから、あまり清廉潔白過ぎても人から好かれないという意味だ。

プランクトンがある水は凄く綺麗なわけではなく、むしろやや濁っている状態だ。

水中のプランクトンがあるところに小動物が集まり、魚がそれらを捕食する。

そのプランクトンがなくなってしまうほど水が綺麗になると、とうぜん魚は生きていけなくなるのだ。

人間でも同じことが言える。

あまり正しいことを主張してばかりいると、争いが絶えないだろうし、周りからも鬱陶しがられるだろう。

広い目で見れば、世の中、善と悪だけでは片付けられないし、どちらか一方だけでは存在出来ないのだ。

光があれば影があり、裏があれば表があるように。

生きていく上で大切なのは、「正しいか正しくないか」よりも「人としてどう生きるか」というところに行き着くだろう。

仏教には「自分にとって不愉快なことを、他人にはしない」というのがあるが、まさにそうだと言える。

そういう人が一人でも増えることが、世の中が善くなっていくことにつながるのだと私は思う。

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::心の叫び
このように聞いて浮かぶのは、「もっと○○するんだ!」「○○のように生きるんだ!」というのがあるだろう。

或いは「俺は(私は)生きているんだ!」「(今の自分自身、状況を見て)このような状態には二度と納得しない!」というのもあるのではないか。

それから「自分の可能性はこんなものではない、無限だ!」と叫びたくなることだってあるだろう。

そういうもやもやした気持ちを紙に書いてみるといい。

気持ちがすっきりしてくるし、「決断する」ということにつながる。

『私は成功(成幸)しないという自分には絶対に二度と納得しない!』

『私は銀行にお金がなく、経済的な不安を抱えたまま暮らすのはもう二度と納得しない!』

『私はもっと自由に好きなところへ行き、好きなことを楽しみ、好きな車に乗り、好きなところへ住むのだ!』

『私はつまらないことに囚われない生き方をするのだ!』

『私はもっと有意義な人との交流をするのだ!』

『自分の可能性がここまでだなんて誰が決めたんだ?自分の可能性は無限なのだ!』


心の叫びが決断を生み、その後の自分の生き方を変えるきっかけになる。


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::今世での生き方
今日は先月に続いて二回目のキャッシュフローゲーム会に参加してきた。

前回はまだゲームのルールがほとんど分からなかったこともあったし、人数の関係でラットレースからファーストトラックへ移る寸前で時間が来てしまったが、今回は少しはルールを覚えたというのと、人数も少なかったということもあって、ファーストトラックへ移るところまで行けた。

キャッシュフローゲーム会に参加する人は、お金に関しての勉強不労所得を増やす方法を学びたいからという理由が大半だと思う。

私ももちろんそうだ。

そしてそれを求める理由は、自由になりたいからだ。経済的な自由だ。

なぜ経済的自由なのか。

それは自分の好きなこと、やりたいことがいつでも好きな時に出来るし、制限がなくなるからだ。

時間だって自由に出来る。

精神世界ならそのようなことは考えなくても済むだろう。

しかし現実世界なら、経済的な不安から開放されなければ本当に自由とは言えない。

自由でないということは、すなわち幸せとは言えないということだ。

ここでも何度か書いているが、人は何のために生まれてきたのか。

それは幸せになるためなのだ。

仏教には「足ることを知る心」という言葉があるが、これは何も清貧に生きなさいと言っているのではないと私は解釈している。

お金があれば何でも解決するということではないし、お金を持っていても不幸な人だって世の中にはいる。

要は貧富にかかわらず、心が貧しいか貧しくないかという問題だと私は思う。

お金は夢を実現するための道具でもあるのだ。

出家し、俗世間から離れて暮らすならいざ知らず、清貧に生きる必要がどこにあるのだろうか。

そのような制限こそ、無意味なものだし、取り払わなければならない。

そう、自分自身のを取り払うのだ。


PS:今日の昼間、絵に書いたような入道雲を見たので写真を撮ってみました^^
nyuudougumo1


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::やりたいか、やりたくないか
斎藤一人さんの言葉に『判断する時、「正しいか正しくないか」ではなく「楽しいか楽しくないか」』というのがある。

物事を判断する場合、どのようにするだろうか。

「正しいのか、正しくないのか」「いいのだろうか、悪いのだろうか」と考えるだろう。

もちろん理論的に考えることも大事だと思うし、それで納得がいくのなら、それで判断するというのも一つの手だ。

ただ、どうせなら「楽しいか楽しくないか」で判断する方がいい。

その方が考えただけでもワクワクした気分になってくるだろう。

人は楽しいこと、ワクワクすることが好きだからだ。

自分の心に正直に、素直になる。

よほどリスクの大きいものでなければ、やってみたいと思うのなら素直にやってみればいい。

「出来るか出来ないか」より「やりたいか、やりたくないか」だ。

人は「やったことに後悔する」のではなく「やらなかったことで後悔する」のだからなおさらだ。

私ももちろんそうだが、誰だって後悔はしたくないものだ

新しいことに一歩踏み出すのは、期待が膨らむ反面、不安もないとは言えないだろう。

それでも「これはこうで、ああで、そうだから・・・」などと屁理屈を言わずに楽しいそうと思ったら、やりたいと思ったらならやってみればいいのだ。

人生という限られた時間の中で、躊躇している時間ほど勿体無いものはない。


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::人生の転機
人が生きていて経験することの中に人生を変えるきっかけになった出来事、すなわち「人生の転機」というものがある。

日々過ごしていると特に意識しないこともあるが、後で振り返った時、「あれは自分にとって人生の転機だった」と言えるものは誰にでもあるだろう。

入学、卒業、結婚、離婚、再婚、就職、離職、転勤、リストラ、倒産。

これらが浮かぶが、最初の二つ以外は経験しない人だっている。

もちろん、これらも人生の転機となりえるが、本当の転機というには、これだけでは弱いだろう。

こういう出来事をきっかけに何かを学び、次に生かすことをしなければ何も進歩はしないからだ。

そのきっかけを与えてくれるのは、人との出会いや、本との出会い、むしろその方が多いだろう。

私自身も実際にそうだった。

数年前、路頭に迷っていた時は、確かに不安で一杯だったが、そういう時期があったからこそ、これからの生き方を考えるいいきっかけとなった。

私が座右の名にしている「人間万事塞翁が馬」という言葉にもあるように、禍となるか福となるかはわからないものだ。

本当に大事なのは、その出来事から何を学んだかだと私は思う。


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::インプットを増やす
文章を書いていると、思い付いたキーワードに連想されて別のアイディアが出てきて、気が付いたらずいぶん書いていたというのはよくある。

書くほどにネタが出てくるという言い方でもいいだろう。

そのために「インプットを増やす」というのはとても大事だ。

そしていいアウトプットをするには、そのインプットは上質なものが望ましい。

新聞やTVニュースなどは、ネガティブなものばかりだから、こういうのは意識して取り込まないようにしたい。

昔と違って、今は情報過多の時代だから、混乱しないためにも情報を受け取る側はよく吟味する必要があるのだ。

何でも感でも取り入れてしまって、脳がオーバーヒートしてしまっては元も子もない。

もちろんTVでも、ためになる番組はあるが、やはり読書が適しているだろう。

映画を見るのもいい。

そしてそれらは、ありとあらゆるジャンルのものが望ましい。

自分の出来る範囲でいいのだ。

そうやってインプットを増やしておくと、いざという時、本当に役に立つ

文章を書く時ばかりでなく、ビジネスにしたって何にしたって、思わぬアイディアが出るだろう。


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::とにかく書いてみる
私は中谷彰宏氏のメルマガを購読しているのだが、だいぶ前に「書くことを決めなくても、とにかく書き始める」というのがあった。

毎日ブログを書いていると、ちょっとした閃きで、ものの数分もしないうちに書いてしまうこともあれば、書くことが思い浮かばない、なかなかまとまらないということだってある。

或いは、キーボードを叩いていても気が散って集中出来ないことだってある。

そのような時は、何でもいいからとにかく書いてみることだ。

思い付いたキーワードでも何でも書き連ねてみる。

中谷彰宏氏の言うように、アイディアは浮かんでは消えて浮かんでは消えるの繰り返しだ。

思い付いたアイディアにつられて別のアイディアが出てくる。

そうやって書き上がった文章は最初にイメージしていたのとは違った流れになることだってあるが、それはそれでいいのだ。

その方が面白いだろう。

それからこれはやっている人も多いと思うが、外出時などでもアイディアが浮かんだ時に忘れないようにメモ帳と筆記用具を持ち歩くのは効果的だ。

いいアイディアが浮かんだとしても、忘れてしまったら何にもならないからだ。

メモ帳がなかったら、携帯を使うのもいい。

実際に私もそのようにしている。

些細なことだが、こういう役に立つことは大いに活用したい。


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::必要な経験
本当の自分らしさを見つける50のヒント・海原純子著者」という本を読んでいて、思ったことがある。

人生で起きたことに無駄なものはない」というのをよく聞くことがあると思う。

そうなのだ、人生で起きることには意味があるのだ。出来事には意味がある。

それは、その人にとって必要だから起きるのだし、必要な経験なのだ。

しかしそれにどういう意味があるのかすぐに気が付かないから困る。

数年後かも知れないし、数十年後かも知れない。

神様はその人に必要だから、その試練を与える。そのように解釈出来るだろう。

去年の話だが、オーラの泉で和田アキ子がゲストの時があった。

彼女はこれまでに辛いことや苦しいことをたくさん経験してきたというのを見て、美輪明宏氏は「それはブルースを歌うために必要な経験だったのよ」というようなことを言った。

必要な経験・・・この時私は閃いた

その数ヶ月前、私は私の師匠である古賀弘徳氏にコーチング・セッションを受けてから、自分が進みたい道はどのようなものなのだろうかと日々考えていた。

彼には「おそらく、すでに見つかっているんですよ。」と言われたことが頭に残っていた。

その状態で、この番組を見たこともあってか、気が付けばノートを取り出し、思い浮かんだことを次々に書いてみた

それを見て驚いた。

私はプロのコーチを目指したいのだという自分の気持ちに気が付いたのだ。

彼は私のそういうところに気付いていたのかどうかは分からない。

私自身、この十数年間は特に辛いことや苦しいこと、転機となることもあったのだが、それらがあったからプロのコーチを目指すという気持ちになったのだと思っている。

そのために必要な経験であったと今はそう解釈している。

そして同じような経験をして来た人の気持ちに少しは共感できるのではないだろうかと思う。


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::輪廻転生
「私の前世は○○だった」「○○の生まれ変わりだ」

以前の私はこういうのにはそれほど関心がなかったのだが、スピリチュアルな世界を少しづつ知ることで、最近はとても関心を持つようになった。

般若心経を知ることになったのも、関心を持つようになった理由かも知れない。

私の前世はどうだったのだろうか。

男だったのか、それとも女だったのか。

日本人だったのか、それともそれ以外の国だったのだろうか。

どのような職業に就いていて、そのような生き方をしていたのだろうか。

また結婚はしていたのか、それとも独身だったのか。

あらためて考えてみると、興味は尽きない。

今世では死んだら終わりだが、それは今世だけの常識だ。

しかし魂の世界からみれば、今世は本当にごく一部の世界に過ぎない。

人は十万回輪廻転生を繰り返すと言われているように、この世に生まれてくる時は、自分の一生を自分で決めて生まれてくる。

そしてこの世での役目を終えて、魂の世界に戻り、生まれ変わってくる。

ありとあらゆる人格に生まれ変わると言っても過言ではなさそうだ。

生まれ変わる回数が増えれば増えるほど、この世での役目は早く終ってしまうのだという。

オーラの泉では美輪明宏氏は、このことを「卒業証書」と言っていた。

優秀な人はすぐ卒業出来るから、すぐ魂の世界へ戻ることが出来る。

つまり、今世での解釈では短い生涯で終ってしまうということだ。

そうすると、「短い生涯で終ってしまっては、何だか勿体無い」と思ってしまうだろう。

しかし、「長い短い」というのは意味がない。

大事なのは、「どういう生き方をしたか」ということだからだ。

いつ今世とおさらばすることになっても、悔いのない生き方をしたい。

この世界を知るようになってからは、私はなおさらその気持ちが強くなった。


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::些細なことでも
決断してから変わったことは?どの変が変わってきただろうか?

私が参加しているミクシィの日記でレスを付けてくださった方の言葉で改めて考えてみた。

数年前の話だが、完全に断煙出来たことで今ではすっかり健康的になったということ。

不健康の極みだった私にとって、これは大きな変化となった。

それから読書だろうか。

それまでも自己啓発系や成功哲学系の本は好きで読んでいたが、以前にも増して読むようになっていった。

そして私の師匠である古賀弘徳氏と出会い、彼のセミナーに参加したことは、私自身により成功することを意識させるようになった。

成功(成幸)するんだ!」「もう絶対後戻りはしない!」「あるのは前に進む道だけさ

寝ても覚めても成功(成幸)を意識するようになり、日々の行動も以前と変わってきた。

目標を紙に書く、毎日ブログを書く、寝る前に日記を付ける、セミナーCDを聞く、読書をする、イメージする、写経する(これはまだそんなに書いているわけではないが・・・)。

読書以外はどれも今までやらなかったことばかりだ。

その他にもやってはいないが、色々なものに興味が湧いてきた。

数年前、死んでいるかのように生きていた私にとっては今はまるで別人のように感じる。

ここに挙げたのは考えてみれば些細なことかも知れない。

しかし些細なことでも毎日続ければ、それはやがて大きな力になると私は信じている。


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::実感の湧く瞬間
今日はここでも何度か出てくる3人ランチの集まりに出かけてきた。

普段、人と接する機会があまりない私としては、とても楽しい時間を過ごすことが出来て嬉しかった。

それはあっという間に過ぎてしまうほどだし、夕べはよく寝付けなかったのは自分でもよっぽど楽しみにしていたのだと思う。

それはまるで小学生の時の遠足の前の日のようにだ。

このような気分になることはとても大事だと私は思っている。

それだけ楽しみにしていた理由としては、安心して夢のある話が出来るということだろうか。

意識の高い人たちが集まってくるのだ。

夢のある話が出てこないはずがない。

だから私自身も安心して話すことが出来る。

これまでは、周りにはそういう夢のある話を出来る人がいなかった。

たとえ話をしたとしても、「それは難しいんじゃないの?」「無理だよ」などと水を差すことしか言わない人ばかりで、話を出来ないのがストレスに感じていた。

それだけ話さずにはいられない、その感情を抑えきれない状態になってしまったのだ。

夢のある話をする。それだけで気分が高揚し、ワクワクしてくる。

そこで私は改めて実感した。

そういう話が出来る人がだんだん集まってきたというのは、自分自身がだんだん変化してきた証拠だと。

普段は変化しているという実感を感じないが、このように見てみると確実に変化しているのだなということが分かる。

3年後、5年後の私はどのようになっているか、とても楽しみだ。

PS:高畠さん、あやぱんださん、今日は本当にありがとうございました。

高畠さんのブログはこちら

ちなみにあやぱんださんは天然石のアクセサリーを作成しています。
私も作ってもらいました^^




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::幸せも不幸も捉え方次第
幸せの数を数える

昨夜、オーラの泉というテレビ番組で美輪明宏氏がこの言葉を言っていた。

どのようなことかと言うと、世の中には不幸の数ばかり数えている人がいる。

「裕福な家に生まれなかった」「才能がない」「学歴がない」「給与が安い」「○○を持っていない」などと挙げれば気がなくなるほどだ。

もちろん、常にこのように言っている人ばかりではなくても、口を開けばついこのように言ってしまうことはあるだろう。

ここで、このようにたいそうなことを書いている私だって言ってしまうことはある。

自分自身が今、いい状態でないなら、なおさらそういう状況を呪いたくなることだってあるだろう。

しかし、本当に不幸だと言えるのだろうか?

確かに足りていない部分もあるかも知れないが、こうして無事生きている。

しかも健康だ。ご飯もちゃんと食べられるし、本だって読むことが出来る。

自分の足で歩くことだって出来るし、ペンを持ってものを書くことだって出来る。

そして何よりも、がある。将来成し遂げたいことや、やりたいことだってたくさんある。

もっと学びたい、もっと人と交流したいという意欲だってある。

このように同じ数えるなら、幸せの数を数えてみよう。

同じ焦点を当てるなら、不幸の数よりも幸せの数に焦点を当てよう。

そうしてみると、「さっきまで不幸の数を数えていた俺って?!」と思うはずだ。

幸せも不幸も、結局捉え方次第で決まるのだ。


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::今一番したいことと言えば・・・
台風のせいで雨または曇りの天気だったが、午後からは明るくなり、急に射すような日差しが出てきた。

とても暑かった・・・やはりだ…(^_^;

夏だからというわけではないが、私が今一番したいことは何だろうと思った。

私は根っからの車好きということもあって、お目当ての車を手に入れてロングドライブを楽しみたい。

それからリッツカールトンなどのホテルへ泊まって、ゆっくりくつろぎたいというのがあるかな。

私が住んでいるところは交差点のすぐで、表も裏も道路に挟まれていて非常に騒々しいところだ(一日も早く、静かなところへ引っ越したいものだな)。

そんな自宅でも読書は出来なくもないが、やはり落ち着いて読書をしたいものだ。

もちろんリッツカールトンのようなホテルでなくても、天然の涼しい風が吹いてくるところでもいい。

英気を養えそうだ^^

また国内・国外問わず、旅行にも行きたい。

先日も書いたが、豪華客船の旅も普段では味わえない気分が味わえそうだ。

それから私は世界遺産パワースポットと呼ばれる場所に興味があるので、そういうところを巡ってみたい。

それとはまた別に、四国88ヶ所巡礼の旅や、京都などのお寺に行って座禅や写経をするのにも興味がある。

こういう体験をすると静かに自分自身を見つめられそうだ^^

そして達観したものの見方が出来るようになるかも知れない。それは私の人生の目標でもある。

これらは写真や映像では伝わらない、そこに行ってみないと感じることが出来ないものがあるはずだ。

そういう体験が、今後の自分にとって素晴らしい肥やしになると思っている。

そしてより成長した自分に出会えるだろう。


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::本当はどうなのか
いでや、この世に生れては、願はしかるべき事こそ多かれめ。(徒然草・第一段)

私たち人間は生まれてきたからには、成し遂げたいこと、やってみたいこと、こういうものが欲しい、ああいうものが欲しいというような欲求